判断? ううむ、難しい質問ですね(苦笑)。
自分に才能があるかないかを判断するには
才能のある者がクリエイトした作品と、そうでない作品との違い
「小説や音楽や絵画の作成に、才能なんて関係ない。それを読んだ人、鑑賞した人が感動すれば、面白がれば、その作品を書いた人は『才能のあるアーチスト』と呼ばれる。それだけのことだ」
なんてことを、もっともらしく説く評論家も、いるにはいます。そして、その意見に、簡単に便乗するネットユーザーは多いようで、その理屈の延長上というわけですかね、フェイスブックの「いいね」クリックの獲得数だけを頼りに、いっぱしの「プロ作家でござい!!」と豪語している者も、意外なほど頻繁に見受けられます。
私は、べつにその行為を、真っ向から否定はしません。
でも、誰がどんなに感動しようとも、才能のある者がクリエイトした作品と、そうでない作品との違いは、プロの、鑑(み)るべき立場の人が鑑れば、明らかなのです。
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薄っぺらな感動と、深い感動
世の中には、薄っぺらな感動と、深い感動、の2つがあります。
人は、目の前で何かしら困ったことが起きれば、泣きたくなります。それは本能です。おかしい出来事に遭遇すれば、多くの人間がプッと吹き出すでしょう。
でも、これはあくまで「薄っぺら」な感動(心の動き)にすぎません。少し時間がたてば、自分が泣いたり笑ったりした事実すら忘れてしまいそうな、そんな程度の感動です。
これに対して、小説や音楽の感動は、一度読んだり聴いたりしたら、ひょっとして一生忘れられないのではないか? と読者や鑑賞者に思わせるような、心の奥底にすーっと入り込んで、じっくりと熟成させるべき「深い」感動でなければならず、間違っても、日常的に年がら年中起きるような、ごく瑣末な「喜怒哀楽」と一緒に考えるべきではありません。
そして、自分が、はたして「薄っぺら」な感動しか生まない才能の持ち主か? 「深い」感動を生むべき才能の持ち主か? はたまた、まったく才能の欠片もない人間か? の判断は、作品をクリエイトする自分自身では無理です。ましてや、フェイスブックの「いいね」を安易にクリックする、ネットに巣食う、顔の見えない無責任な連中に、出来ようわけがありません。
あくまで、その道で長いこと修行をし、良い想いも嫌な思いもし、ツラくしんどい創作の鍛錬を重ねながら、創作の世界で飯を喰ってきた、プロと呼ばれる人間たちだけが、骨董の鑑定士のごとく、「貴方には才能がある」と断を下せるのです。
貴方の人生と、「糞野郎」の人生
こんな例え話は、いかがでしょう?
貴方の幼なじみの友人は、昔から性格的にすごく嫌な野郎で(笑)、みんなに嫌われていたのに、運動神経が天才的に素晴らしく、気が付けば日本を代表するサッカー選手に成長し、今や誰もが知ってる超有名人まで昇りつめ、年俸はウン億円をもらっている。貴方は、メチャメチャ悔しがる!!
「俺だってサッカーの腕前は、そこそこイケたんだ。なのに、なんであんな糞野郎が、調子に乗りやがって」
貴方の人生と、その「糞野郎」の人生は、どこでどう「違って」しまったのか? 彼は人間的には評価されない部分も多々あるのでしょうが、どっこい運動神経、ことサッカーの技術に関してだけは、誰からみても「素晴らしい!!」で一致するはずでしょう。そしてまた、おそらくは自分でも、その才能を早くから認知し、貴方も計り知れない苦しくしんどいトレーニングを重ねてきたはず。
一方の貴方は、どうでしょう? サッカーの技術を高く評価されるだけの才能を、本音で胸を張って、ヒト様の前で「どうだ、参ったか!!」と主張できるでしょうか?
学業やスポーツの世界と創作の世界との違い
学業やスポーツの世界は、結果がすべてという残酷な現実がありまして、いくら本人が「どうしても東大に入りたい!!」「どうしてもオリンピックに出たい!!」と望んでも、その「結果」にいたるべき才能、実力が伴わなければ、夢は絶対にかないません。誰が聞いても明白な話です。異論も出ないはずです。
ところがこれが、プロの「作家になりたい!!」「作曲家になりたい!!」「画家になりたい!!」……となると、途端に判断の基準が「おかしく」なります。
なぜかといえば、創作の世界は、1+1=2のような、明確に「これ1つ!!」という答えは存在しづらく、加えて、前述のような「感動」という、人間の心の動きが絡みつくため、さして才能のない者も「いっちょう俺だって!!」と、やる気が目覚めてしまうので。
「あの2人」
先日、広島出身で被爆二世の聾唖者であることを「売り物」にした作曲家の騒動がありました。彼が書いたとされる「感動の名曲」は、じつはまったく別の、明らかに音楽的な才能豊かな彼が、代筆をしていた、と。
売れっ子に祭り上げられた作曲家は、楽譜一つ書けず、ピアノも弾けない、つまり音楽の才能はハッキリ言ってないけれど、自己アピール能力だけは長けた男だった。一方、代筆の彼は、詐欺師同然の男の言いなりにコキ使われながら、皮肉なことに、生来の音楽的才能だけは自他ともに認めるものがあった。
自分に才能があるかどうか? をみずからに問いかける際に、連日マスメディアを騒がせた、「あの2人」の顔を思い出してみると、意外に答えが導き出せるかもしれませんよ。
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