ほぉ、これは答えやすい。
私は幼い頃から雑読、乱読マニアでしてね、冒険活劇モノも読めば、恋愛モノも大好き。
好きな小説家を教えて下さい
勝沼先生の読書スタイル
ホラー小説で背筋を寒くしてほどなく、エロ小説で股間を熱くする (笑)。哲学書も心理学書も、獄中の連続殺人犯の手記も読む。まさに雑多、イイ加減!!
その代わりといっちゃナンだが、「この作家を究める」だとか、「世界文学全集を一巻から読み通す」とか、そういうことが出来ない性格なんですね。
常に熱しやすく冷めやすい、あるいは飽きっぽい江戸っ子の特性といいましょうか(笑)、一つのことをコツコツと地道に、……が向いてないんですね。
読書に関してもそれがいえて、A作家の著書を数冊読むと、その作品にちなんだ別のB作家の書いたものが読みたくなる、それを読んでると今度はC作家が、……十代の頃から、そんなかたよった読書習慣が、そのまま50歳を過ぎた現在も続いていましてね。
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まともな文学書を何も読まなかった理由
父親が、作家崩れの呑んだくれだったため、幼い頃から、狭い部屋の壁一面に、あらゆる書物だけはあふれていましてね、
でも、生活力に乏しい亭主の生きざまに辟易していた、私のお袋は、「だいの男が文学なんぞにハマると、人間が駄目になる!!」と本気で信じていたフシがありまして、小・中学校時代の私は、父親の蔵書を読むことを、母親に制されていました。
だから、ということになるのだけど、将来モノ書きになるやつの読書体験からすると、お恥ずかしいくらいに、私は「まともな文学書」を何も読んでません、
あれは小学六年生の夏休み明けだったでしょうか、読書感想文に私が選んだ書物が、教師が喜ぶようなブツじゃなく、今でいうラノベのようなエンタメ作品だったため、教師は私にそれを指摘したんですね。
「なせ勝沼クンは、もっとまともな文学作品を読まないの?」
私の答えは次の通りでした。「だって、まともな文学作品を読むと、人間が馬鹿になるって、いつも母が言うから」、
母親は呼び出され、教師にたしなめられたようですが、母親の考えが変わることはなかったでしょう。だって、わが家には、膨大な文学書を読み漁ったが結果、酒に溺れてまともに働かない亭主(父親)が一人、実在したのですから(笑)。
たかが書物
そういうトラウマもあってか、後年、私はこう認識するようになります。
【一冊の書物は、読み手の了見によって、毒にも薬にもなり、人間を利口にも馬鹿にもする。でも、それは書物に責任があるわけではなく、あくまで読み手のオツムとマインドの問題だ。】
私がいうのもナンですが、たかが書物だ。書物に書かれた内容よりも、人間のナマの生きざま、営み、喜怒哀楽の情動が、数段、人生にとって大切でなくてはならないし、魅力的でなくてはいけません。
でも、(矛盾するようですが)されど書物でもありましてね。一冊の書物が、あなたの人生を変えること「も」多々あります。
読書体験は、人間を利口にも馬鹿にもする。
皆さんのこれからの人生に、素敵で刺激的な読書体験が待っていますよう、私も祈っています。
さて、私の好きな作家ですが、冒頭に書いたように、あくまで雑多で乱読ですから、まるで統一性がありません。スミマセン。
好きな作家
「放蕩無頼派」三人衆、「桜桃」「家庭の幸福」「走れメロス」の太宰治、 「堕落論」「日本文化史観」の坂口安吾、「家宅の人」「檀流クッキング」の檀 一雄、「青い山脈」「寒い朝」「陽のあたる坂道」の石坂洋次郎、「アメリカひじき」「エロ事師」「骨我身峠死人葛」の野坂昭如、「青春の門」の五木寛之、筒井康隆、眉村卓、星新一など、SF系の作家。
和製ハードボイルドの大家、北方謙三の書く文章のタッチと、初期の頃の作品 「鎖」「檻」「真夏の葬列」などが大好きでしてね。
官能系では、川上宗薫、富島健夫、……文章だけは北沢拓也。谷崎潤一郎は、変態系の作品は好きですね(笑)。でも、文章は風雅過ぎて、あまり好きじゃないかな?
まだまだいますけどね、
女流作家では、1980年前後の早稲田文学出身の「三姉妹」、桃井かおり主演の映画にもなった「もう頬杖はつかない」の見延典子、田中美佐子主演映画の原作 「ダイアモンドは傷つかない」の三石由起子、かの田中のコミさん(田中小実昌)の娘で、「じゃあね」という、じつに新鮮なタッチの青春小説を書いた田中りえ、……には、私が大学時代に、その斬新な筆致や表現の【イマドキさ】を、ずいぶん学ばせてもらいました。